猫との出会い②。

 病院へ行く準備の前に、この近辺の獣医を探さなくてはならなかった。20年前に猫を飼っていたときに世話になった病院だけは絶対にかかりたくない。ここで書く必要はないから省略するが、嫌な思いをたくさんさせられた。だからその一心で、検索して出てくる病院で、連れていきやすそうなところをチェックしていく。すると地元の最寄り駅に新しい動物病院が出てきたので、すぐさま電話をかけた。

 少しのコール音で対応が始まる。先ほど自宅裏で子猫を保護したこと、すぐに連れていける準備は整っているが見てもらえるか、ただし私はここに住んでいるわけではないので通院は不可能、それでもいいかなどを確認する。先方は淀みなく答えてくれて、いますぐにでも対応可能とありがたい言葉をいただいた。

 私は母に自転車を借り、自転車の前カゴに子猫を入れたキャリーバッグをくくりつける。実家から駅までは約2㎞と本当に中途半端な距離で、結婚と共にペーパードライバーになってしまった自分が恨めしくなった。父親は仕事だから頼れないし、母親は車の買い換えと共に運転は引退してしまい、とにかくこの両親は使えない。さっき来た道を戻り、診察後にはさらに実家に戻るというこの実家の所在地に、憤り以外の感情が湧かなくなった。しかしぼやいていても始まらない。子猫の健康診断を受けなくては。

 自転車で立ち漕ぎをしてハンドルを左右に大きく振ってでもいいから少しでも早く病院に到着したい気持ちを抑え、バッグの中にいる子猫に細心の注意を払い、ペダルをゆっくりと漕ぐ。時折、子猫に声をかける。返事はないが、生きている。窓から顔を覗かせている。多分元気そうだ。自転車で約10分の道のりを、逸る気持ちとは反比例の速度で病院を目指していった。

 到着すると、すぐに先ほどの電話の本人だとわかってくれたようで、診察室に通された。猫風邪は引いていて、熱も出ているが元気。生後1.5か月ぐらい。体重は350グラム。ノミがたくさんいるからノミスプレーを施してもらう。頭部にはかけられないらしいので、首までびっしょりになるまでかけてもらった。そして、私が一番気になっていた性別判定。昨日、手のひらに乗せて股間を確認したとき、ちんこらしきものはあった。ただ、子猫は小さいときには判断が難しく、ある程度大きくなってからでないとわからないことは薄々耳にしていたので、ここで先生の判断を仰ごうと思っていた。過去私は3匹の猫と暮らしてきたが、いずれも皆オスだったので、今度は完全室内外になるし次はメスがいいと密かに所望していた。

 先生が子猫の尻尾を持ち上げ股間を確認し、一言。

「男の子ですね」

 その瞬間私は先生に向かって「あー」という苦笑いをしつつ、でもしょうがないという表情も出して答えた。本当、こればっかりはしょうがない。これもご縁なのだ。でも女の子の猫、飼ってみたかった……。

 今後のトイレの作り方の指示と目薬をもらい、病院をあとにする。健康だったし、昨日の出会いのときから感じていたが、目やにはたっぷりこびりついていたが目力はかなりの強さだったし、きっと多分猫エイズ白血病は陰性だろうと確信していた。でもその検査はまだ小さすぎて、身体が耐えられないのだそう。これは自宅付近で獣医を探してからの話になるだろう。

 再びバッグを自転車の前カゴの部分にしっかりとくくりつけ、実家に戻る。次の懸念は、部屋に放ったら怯えて冷蔵庫の下などに隠れてしまうかもしれないこと。それを阻止するため、実家リビングではちょっとしたバリケードを母と設けて、キャリーバッグを床に置き、ジッパーを広げた。怯えて出てこないかと思ったら、全然恐れることなく悠々とかつしっかりした足取りでバッグから現れ、室内を歩き回り始めた。

 この子猫の大胆不敵な行動に、最初私は目を疑った。少しは怯えてもいいんじゃないの……と。全然臆することなくゆっくりとだが歩く姿は、まるでこのリビングで生まれたような態度だ。なんだろう、この肝が据わった図々しいこの生物は。唖然としながら床に座る私の膝に、子猫が上ってきた。信じられない。そのまま手を出すことなく彼の自由にさせていたら、私の肩まで上りそこで毛繕いを始めた。私とあんたはほぼほぼ初対面なのに、なんでこんな場所でくつろげるの? この大胆さ、私にも分けて欲しいと心の底から思った。

 しばらく子猫の好きなようにリビングを歩き回らせ、水とエサも与えた。仕事から上がってきた父親が姿を見せるも、子猫は怯えることなくマイペースを貫いている。強い猫だ。だから4日間も水だけで生きられたんだろう。

 ふと気づけば、実家にも随分長く滞在した。これ以上いると父親と私が喧嘩をし始める可能性があるから、お暇することにした。私と父親は結構仲が悪い。その騒ぎが猫に伝播したらもっとかわいそうだ。しかし、さすがに子猫が入ったキャリーバッグを抱えて歩いて駅まで行く気力も体力も残っていない。だからタクシーを呼んだ。

 数分して到着したタクシーに乗り込むと、運転手はスピードを出して走り始めた。これが私一人だったら何も考えずに乗り続けていたと思う。しかし今日は少しばかり母親の心境を持ち合わせている。運転手に子猫がいるので、遅くなってかまわないのでゆっくり走ってくれと告げる。すると運転手はかなりの猫好きらしく、喜んでスピードを落としてくれ、さらに私にこの猫についていろいろ質問してきた。

 私も約20年振りに猫を飼えるうれしさも相まって、調子よく話す。運転手は自分の飼い猫の話もしてくれて、和やかな雰囲気に包まれたままタクシーは駅に着いた。支払いを済ませて降車際、運転手さんが「お大事に」と言ってくれたのが、とてもうれしかった。

 そうして、子猫が入ったキャリーバッグを抱えて電車に乗り、私は自宅を目指したのだった。

猫との出会い①。

2017年3月13日、16年の9月14日に実家の裏庭で保護した猫の去勢手術が終わった。

 

 見つけたときは、まだ赤ちゃん特有のポワポワした感じの毛で覆われ、顔はちっとも私好みではなかった。友人の子供が悲しいときに出る顔に似ていて、私はそれがとても嫌いで、この猫を見たとき「将来的に私はこの猫を愛せるだろうか」という心配の方が勝っていた。

 それでもこの子猫を見殺しにすることはできないと、手のひらに乗せて保護を試みたが、触らせるくせに運ばれるのはいやだったようで、ひょいと私の手からジャンプをしてすみの方に逃げてしまった。そこはもう屈んで手を差し込んでも届かない複雑な物置脇に。

 基本、私は「ご縁」を意識して動く人間なので、子猫が去ってしまったときも縁がなかったんだとその場で諦め、立ち去った。なんとなく、あの子猫、間接的に私が殺すことになるんだろうな〜と思いながら。その夜は、夫も合流して私の両親と一緒に焼肉を食べに行った。焼肉をひっくり返しながら、あの猫はどうなるんだろう、わたしのせいになるのかと、猫のことばかりを考えていた。でも、逃げてしまったものはしょうがないという気持ちで無理矢理猫への気持ちに蓋をしていた。

 しかし、帰宅して寝るときもまた猫のことが頭から離れない。でもしょうがない、逃げたのはあの子と自分を納得させながら。

 

 翌朝、特に仕事もなく筋トレをしていたら、母親から電話。iPhoneが壊れてしまってどうしても直らないから見に来て欲しいと半泣きだった。ほんとうもう、実家は電話事情に呪われているとしか思えないほど、流れが悪い。しかも私の筋トレ時間を邪魔してまで……!という怒りも湧いたが、次に起きた気持ちは、「猫を保護できるのでは?」だった。慌てて母にすぐ行くから猫はどうしたと聞くと、まだ私が手に乗せた場所にいるという。すぐさま保護するよう指示するも「お母さん、そんなのこわくてできない」と半泣きの反応。これにはイラッとしたが、父親に頼んで保護してもらえ!と指示し、大急ぎで出かける準備をする。その前に猫の保護準備だ。そしてそれよりも前に夫へ、猫の飼育許可だ。もう許可なんて言っていられない。猫を保護して飼うのだ。だから私は夫に

「昨日見かけた猫を保護します。飼わせてください。お願いします」

 普段私は夫に対して敬語なんて使わない。ただこのときは保護したさ一心だった。

 これだけを送信し、返信は待たずに家を出た。行き先は地元の薄汚いペットフード店。ペットグッズを扱っている店がここしか思い当たらなかった。こんな町なのが、また情けない。キャリーバッグとエサを求めに向かったが、なんということでしょう。まだ開店していない。こういう事態になると余裕がなくなる私は、心底この町と自分を呪いたくなる。自転車すら持っていないことにも腹が立ってくる。ここから駅まで歩いて15分ほどだが、タクシーを拾う距離でもない。

 駅と反対方向の店に行くもまだ開店しておらず、あきらめて駅に向かうという時間のロスが重なり、その間に子猫はどうなってしまうんだろう、そればかりが頭の中を回っていた。ここで時間を潰していたらもったいない。まずは少しでも実家に近寄った方が得策ではないかと考え、実家最寄りの駅そばにあるホームセンターの開店時間を調べるとすでに営業中。やった、ひとまず神さまは実家近くにいそうだ。そこから電話をかけて、ペットグッズの有無を確認すると、いい返事がもらえた。大丈夫、保護できる。根拠のない強い確信が私を奮い立たせる。武者震いをしながら、いざ電車に飛び乗る。

 さすがに車内で猫のことを考えていてもどうしようもできない。こんなに神経が昂ぶっているのに読書なんてできるわけがない。できることは……、占いを見てみることだ!と思い立ち、iPhoneの占いアプリを立ち上げて見てもらう。結果は「うまくいく」だった。よし、本当に運も神さまも私を応援してくれている。全身に力が漲る感じがあり、私は一人大きく深呼吸をしていた。

 

 駅についてグーグルマップでホームセンターの場所を改めて確認する。これが私の記憶違いで、予想以上に遠いし、実家とは逆方向。駅からタクシーに乗るほどの距離でもないが、ただ実家からは遠ざかる。まぁ、いい。とにかく道具を購入しようと自分を立て直し、店に向かい、揃えることができた。

 会計を済ませ、さぁどうするか。駅に戻ってタクシーに乗るか、それとも駅を通過して歩いて向かうか。駅に向かうロスを考えると、そのまま実家に徒歩で向かった方が早いと踏んで、歩を運び始める。ポケモンGOがあってよかった。この無駄だと思われる距離も、バディポケモンや卵の孵化で稼げるじゃないか。なんという前向きな気持ち。

 20分ほど歩いて実家に到着し、仕事中の父親に向かって「飼うから!」と、何も聞かれてもいないのに力強く宣言する。このときの私は、もう誰にも文句は言わせないと強張った表情で決意表明をしていたと、今になって父に笑われる。それぐらい、私はいろいろなものを突っぱねて猫を飼おうと覚悟していたのだ。

 キャリーバッグを携え、昨日逃げてしまった場所へ行くと猫はいない。父親が物置の中に保護したのだそう。しかしながら、物置の中で保護したから安全とはいえない。実は40年近く前、この物置で子猫を段ボールに入れて保護したのだが、ねずみにやられて腹が割かれていたのだ。あのときの衝撃は忘れない。今も申し訳なく思っている。だから物置の奥の方に入っていないことを願って引き戸を開けて中を見渡すと、いない。しかし視線を足元にやると、

いた!!!!!!!!!!!!!!

小さく踞りながら昨日の子猫がいた。慌てていたので乱暴気味に買ってきたキャリーバッグを開けて子猫を入れる。ここで本当に安堵した。保護に手間取るかと心配していたけれど、難なくあっさりとすませることができた。ああよかった。走りながら実家に戻り、子猫用ウエットフードの封を切り、バッグに突っ込む。猫はおもむろに容器に近づきながらモソモソと食べ始めた。食べる気があるなら元気だろ。その後、水も準備して子猫に与える。それにしてもガリガリだ。ノミがたくさんいるんだろうなぁと、改めて見ると触ることすら躊躇わせる汚さだった。

そして、食べ終わったのを見計らって、私はこの子猫を病院へ連れていく準備に取りかかった。