書くこととは、生きること。

なぜ唐突に今さらブログを始めたか。

 それは、先週の金曜日に行ってきた「預言カフェ」で言われたことがきっかけ。

「あなたが蔵のようなところにしまっていた、前に磨いていた技能や才能をもう一度取り出して、埃を取り払い磨いて油を差して、カムバックさせるような道もあり、そのことも心に置きながら進むあなたを助けましょう」

 このような預言をもらったから。

 預言というのは、何について言っているのかは、占いと同様ぼやかしていると感じる。ただ、この日の私は仕事の悩みが肥大化しすぎて、半ば助けを求めるような気分訪れたので、当然仕事での預言として捉えていた。

 預言から、自分の今までの足取りを振り返ると、蔵にしまったと実感するのは東南アジアに関する情報をあつめること。そしてこのように長文を書くこと。10年前まで、さまざまなSNSたくさんブログを書いてきていたし、仕事で文章も書いてきた。決して上手だとは思っていないが、書き終えた後の爽快感はなかなかのものがある。反面、書いているときの苦しさは半端ない。その間を縫うようにして、文章を書いて、読んで、編集をして生きてきた。

 そもそも私自身がこの技術を蔵にしまった感覚ではなく、ツイッターの登場が悪しきものだと捉えている。140字で簡潔に伝える力は強まると思うが、長文の読み書きの能力がどうしても衰える。それにまとめサイトといった超素人文章ばかりを読んでいたのも、婉曲に言っても蔵にしまった事象だと思う。10年もの長い間時間を無駄にしてすごしてしまった。このことは後ろめたかったが、どうしても止めることができなかった。

 しかし、今回預言カフェでの言葉で、やはり改めて長文を書くトレーニングを再開しようと思い立ち、今日から始めた。

 このブログ再開がすぐに仕事につながるとは思えないけれど、いつどんなときに執筆の仕事が来ても狼狽えることなくできるよう、日々研鑽していこうと心に誓ったのである。