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図書館の本と温泉。

 又吉直樹の『火花』が単行本で刊行されたのがいつだったか、いまアマゾンで調べてみたがわからなかった。しかし、文庫本が発売されたのが、今年2017年2月10日。

 私は普段から図書館を利用しない。仕事など参考資料として必要で、買うほどではないけれど、目を通しておきたいレベルの書籍だったら、足を運び目を通すか、たまに借りたりする。一方、本当に欲しい本は自腹を切って買って読んで、本棚に入れる。欲しいものは自分のお金で買うのは当たり前というスタンス。本ももちろんそう。

 それと、図書館の本が嫌な理由は、誰がどんな手で触ったのかわからないから。私だって本を読みながら、鼻の脂を拭き取ったり、涙を拭ったり、唇の皮を剥いたりする。図書館で本を借りて読む人のなかにも、同じようなことをする人はいるだろう。さらにいやなのが、ページの間にお菓子のカスが挟まっていたり、虫が潰れて押し花ならぬ、「押し虫」になっているとき。そんなものを見つけたらもう触れない。それに、横になって本を読んでいるときに、ページの間にはさまっていた何らかのカスが顔に落ちてくるのも、考えただけでもいやだ。寒気に襲われて、目が開けられないほどだ。

 それぐらい、図書館の本は嫌いなのに、先日地元図書館における単行本『火花』の予約数を調べたら、なんと34人もいた。一人2週間借りるとして、34番目に本が来るのは1年ぐらいかかる。そこまで待ってもこの本を読みたいのだろうか。いまならもう文庫本も出ているというのに……。

 こういう神経が私にはまったく分からない。これは一体何に近いだろうとしばらく考えていたのだが、出てきたのは……。

 源泉掛け流しではない温泉と、温泉を持って帰れて自宅の風呂に張って入る楽しみ方ではないだろうかとひらめいた。

 図書館の単行本を借りて読む人は前者、後者は文庫本を買う人。図書館の本は、破損などしてもほとんど買い換えたりせずに、次の予約者にわたる。温泉でいえばお湯は掛け流しではなく、前の人が浸かった湯に自分も浸かる。その繰り返し。お湯はどんどん汚れていくのが単行本と一緒。

 一方、自宅で温泉の人は、単行本本来のデザインなどは味わえないように、温泉そのものの雰囲気はないが、泉質は同じなので身体にいい=本の内容は変化しないということではないだろうか。本来単行本派の私でも、ここまで待っているなら文庫本も出ていることだし、文庫本を買う。汚れた温泉の宿ならば、お湯を買って帰って湯船に張る。そういうことだ。

 こう考えてみても、やはり私の理解を超えている。読みたい気持ちをずっと持ち続けている人、ちょっと親しくなれそうもない。